2012年4月28日土曜日

「相対化」の言葉を求めてー山本七平『空気の研究』を読むー




この本を持って、国会で演説をぶちたいぐらいの気持ちである。



本書の歴史的意義は、「空気」が発生するメカニズムを、「対立概念で対象を把握することの排除」に見た点にある。すなわち、本来相対的に検討すべき複数の事象のうち、ひとつを絶対的な存在へとあがめ奉り、その他を全面的に排除するということである。

この指摘を見て、私が咄嗟に想起したのは、現在の原発をめぐる論議である。原子力には、「一瞬で多数の人々に致命的なダメージを与える恐怖の技術」という側面がある一方で、「低コストのクリーンエネルギー」という側面もある。どちらかを絶対視し、一方の見方を排除したときに、原発問題をめぐる「空気」が生まれる。いま日本は空気に支配されようとしているのではないか。

山本は本書のなかで以下のように述べる。

「どのように絶対化しているように見える言葉でも相対化されうるし、相対化されねばならない。」

「いわば、人間が口にする言葉には『絶対』といえる言葉は皆無なのであって、人が口にする命題はすべて、対立概念で把握できるし、把握しなければならないのである。」

「そうしないと、人は、言葉を支配できず、逆に、言葉に支配されて自由を失い、そのためその言葉が把握できなくなってしまうからである。」

これ以上の説明は不要だろう。いまの日本に最も必要なのは、相対化の言葉たちだ。いま日本人がこの本を読まないで、いつ読めというのだろう。

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