本書の歴史的意義は、「空気」が発生するメカニズムを、「対立概 念で対象を把握することの排除」に見た点にある。すなわち、本来 相対的に検討すべき複数の事象のうち、ひとつを絶対的な存在へと あがめ奉り、その他を全面的に排除するということである。
この指摘を見て、私が咄嗟に想起したのは、現在の原発をめぐる論 議である。原子力には、「一瞬で多数の人々に致命的なダメージを 与える恐怖の技術」という側面がある一方で、「低コストのクリー ンエネルギー」という側面もある。どちらかを絶対視し、一方の見 方を排除したときに、原発問題をめぐる「空気」が生まれる。いま 日本は空気に支配されようとしているのではないか。
山本は本書のなかで以下のように述べる。
「どのように絶対化しているように見える言葉でも相対化されうる し、相対化されねばならない。」
「いわば、人間が口にする言葉には『絶対』といえる言葉は皆無な のであって、人が口にする命題はすべて、対立概念で把握できるし 、把握しなければならないのである。」
「そうしないと、人は、言葉を支配できず、逆に、言葉に支配され て自由を失い、そのためその言葉が把握できなくなってしまうから である。」
これ以上の説明は不要だろう。いまの日本に最も必要なのは、相対 化の言葉たちだ。いま日本人がこの本を読まないで、いつ読めとい うのだろう。
この指摘を見て、私が咄嗟に想起したのは、現在の原発をめぐる論
山本は本書のなかで以下のように述べる。
「どのように絶対化しているように見える言葉でも相対化されうる
「いわば、人間が口にする言葉には『絶対』といえる言葉は皆無な
「そうしないと、人は、言葉を支配できず、逆に、言葉に支配され
これ以上の説明は不要だろう。いまの日本に最も必要なのは、相対
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