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2012年6月14日木曜日

豊かさと厳しさと―書評 坂口恭平『TOKYO 0円ハウス 0円生活』

「ゼロ成長でも絆があれば豊かに生きれる」みたいな議論はヌルくて好きになれない…。
でも勝間和代的な「勝ち組になって年収10倍アップ」も説教くさくてイヤだなぁー。

そんな方にぜひ読んでいただきたいのが、
坂口恭平さんの『TOKYO 0円ハウス 0円生活』(河出文庫、2011年)です。

著者の坂口さんは建築家。なのですが…。
そのスタイルは僕らがイメージする「建築家」とは全く違っておもしろい。

大きな建築物をつくることには興味がない。
図面をきっちり引いたり、精巧な模型をつくることにも熱心になれない。

彼は名門で知られる早稲田の建築学科の出身。
だけど在学時代やっていたことは他の学生とは全然違ったようです。

ある日大学で「都市の再生」という課題が出たときのはなし。
既存の建物を選んでそれを改築、増築するという課題です。
坂口さんが目をつけたのは、廃墟となったマンションの貯水タンク。

坂口さんはこれを改築する、のではなく、
「ここにただ住む」というパフォーマンスをすることにした。
貯水タンクに、水と食料と発電機を持ち込み、その様子をビデオカメラに撮影。
周りの学生が図面や模型を提出するなか、映像を授業の課題として提出しました。

卒業論文では「路上住宅の百科事典」をつくったそう。
ホームレスの人たちの「棲家」を訪ね、
彼らと会話をしたり一緒に行動したりする。
そのなかで「棲家」の設計や彼らのライフスタイルを調べたようです。
(この卒論はのちに『0円ハウス』という本になりました)

★★

本書はこの卒論後、さらにフィールドワークを重ねてつくられた、
卒論の続編ともいうべきものです。

主役は「鈴木さん」という隅田川沿いの路上住宅に住むおじさん。
いわゆるホームレスなんですが…。
その生活は一言でいうと「豊か」です。

鈴木さんの家。ライトがあり、テレビがあり、ラジオがある。
定価1万五千円の高級鍋もある。簡易な風呂もある。なんでもある。
挙句の果てに、一緒に住んでいるパートナーの女性までいる。
すごい。すごすぎる。

家にあるものはすべて鈴木さんが拾って集めてきたもの。
電気はガソリンスタンドからもらってきた自動車用バッテリーでまかなう。
まさに本のタイトルにあるような「0円ハウス」。

ごはんは毎日3食、自炊をしてしっかり食べる。
毎日、焼酎を飲む。たばこも吸う。
こんな生活を川沿いに立てたビニールハウスで送ることができるんですね。

★★


鈴木さんの収入源はアルミ缶集め。
月に5万円近く稼ぐそう。
毎日6時に起きて、7時〜9時までアルミ缶を拾う。
さらに昼寝をしてから、夜8時〜1時近くまでまたアルミ缶を拾う。
これをほぼ毎日こなす。勤勉。

アルミ缶回収の方法もとても効率的で洗練されています。
みんなが集中する自動販売機やコンビニのゴミ箱は見ない。
毎日どこのエリア、どこのお店でアルミ缶が出るのかを把握しているのです。
そのうえで綿密な計画を立て、パートナーとうまくエリアや回収時間を分担する。
鈴木さんは、戦略性と合理性を兼ね備えた方ですね。
僕の師匠である上山信一がホームレスになったらこうなりそうです(笑)

さらにすごい鈴木さんのエピソード。

鈴木さんがアルミ缶回収に使うピカピカの自転車。
これは毎日川沿いを走っていた会社員に貰ったそう。
アルミ缶回収のときに挨拶をして顔見知りになったら、
彼がサウジアラビアに転勤するときに家族三人で挨拶に来て、
自転車と判子が付いた「自転車譲渡証明書」を持ってきた。
「絶対帰ってくるからそのときまで頑張ってください」と言われたんだって!
物語のような話です。

鈴木さんはお店やホテルの従業員さんや主婦と仲良くなり、
ゴミとして出たアルミ缶をとっておいてもらうことができる。
交渉の時は全部正直に、「私はこれで生計を立てていますので、もしもよろしかったら、ここのアルミ缶を毎回ください」と言う。
絶対に盗みはやらない。禁止されていることはやらない
誠実な人だー。

鈴木さんはこんな人柄なので、警察や河川を管理する国交省の職員とも仲良くなる。
少年に家をいたずらされたら警察がすぐに対処してくれる。
月に1度川に検査にきて、住宅の撤去を命じる国交省の役人も、
鈴木さんの前では申し訳なさそうに作業をする。
鈴木さん、あなたは何者なんですか(笑)

★★

本の中で、鈴木さんが
「工夫して暮らすことがとてもおもしろいからこの生活をしている」
「コンクリートの家には住みたくない」
ということを言っています。

著者の坂口さんはこの言葉を受けて、
「これらの言葉は、金銭的な価値を基準にした生活ではなく、人間的な生活をおくるために0円生活をやっているようにも取ることができる」
といっています。

僕は「金銭的な価値を基準にした生活」が「人間的な生活」でないとは思いません。
でも、鈴木さんの「工夫して暮らす」という生き方は豊かな生き方だと思います。
彼は自由で、自分の生活に納得して生きているように見えます。
それは直感的に良い生き方だなぁと思います。

河川敷の国有地に住むことは違法だし、
彼を迷惑に思っている人も少なくないかもしれない。
それでもこの本の読者は鈴木さんの生き方を肯定したくなるでしょう。

でもよくよく考えてみると、鈴木さんみたいな人ってもともとどうやったって良い生き方をできるのではないか、とも思うのです。

鈴木さんは仕事ができるし、誠実だし、コミュニケーション能力が高い。
こんな人がホームレス生活してるというのは、超レアケースだと思います。
鈴木さんが会社を興したら成功できたのではないでしょうか。

仕事がちゃんとできなくて、不誠実で、コミュニケーション能力が低い、鈴木さんの逆のような人がホームレスになってしまう。

僕はこの本を読み、ホームレスとして「豊かな」暮らしができる鈴木さんは、とっても強い人で、このように生きれる人はやはりごくごく少数なのだろうなぁという「厳しい」現実を目の当たりにした気分になりました。

★★

でも、このような感想を持つことと、この本がとてもおもしろく重要な作品であることとは別の問題です。

坂口さんが鈴木さんと信頼関係を築き、丹念なフィールドワークを重ねて、鈴木さんの快適な「0円ハウス」と豊かな「0円生活」を描き出したのは本当に見事です。

この本には僕らが見ておいたほうがいい「もうひとつの日本」が描かれています。

2012年5月21日月曜日

教育にとって「経験」は決定的な要素ではない。―書評:北川智子『ハーバード白熱日本史教室』―

5月20日発売、北川智子『ハーバード白熱日本史教室』を読みました。

著者の北川さんはハーバード大学で日本史を教える非常勤講師。
大学は違えど、僕と同じ世代で同じポジションにある方です。

彼女は、32歳で、女性で、非ネイティブで、アジア系で、しかも非常勤講師というビハインドをものともせず、ハーバードで最も学生に支持された講師に与えられる「ティーチング・アワード」を受賞しました。

しかも着任した2009年から3年連続で!

ハーバードで教え始めたのは29歳。それまではずっと学生で、彼女に教育経験はゼロ。そんな新人教師が1年目で名だたる名教授を押さえて「No.1教師」になったのですから、とんでもないことです。どうしてそんなことができるのか。

その理由は本を読めば一目瞭然。

彼女は、学生たちが大好きで、教えることが大好き。自分に、そして自分の授業にプライドを持つ。最大限の努力をして授業に臨む。これが彼女の高評価を支えているのです。

彼女はこんなことを言っています。

学生はみんないい顔をしている。調子良さそうにしている子はもちろん、なにかに悩んでいて寝ていなそうな子も、若いエネルギーに包まれて、みんな輝いて見える。この子たちみんなによい将来が待っていますように。バックグランドも全然違う学生たちだけど、私にとってはみんなかわいい。彼らを愛する使命をひしひしと感じた。

毎日は足早に過ぎていった。教えることは本を読むよりも、先生に質問するよりも、何よりも価値があるように思えた。私は、自分が学生に伝えたい気持ちから、学生の反応から、たまに起こるハプニングから、日々いろいろなことを学んだ。がむしゃらに、できるだけのことをした。 

楽しむことは忘れたくなかった。笑う余裕も忘れたくなかった。このクラスのオリジナリティーは、私という人間の面白さにあると信じて教室の演壇に立った。その自信だけは絶対に失ってはいけないと、いつも誓った。毎回、自分ができる最高のことをやる。できなかったことは、次に引き継ぐ。自己最高記録は、いつも更新されるべきもの。本当にがむしゃらだった。
(北川智子『ハーバード白熱日本史教室』新潮新書、2012年、49〜50ページ) 

こんな先生に出会えたら本当に最高です。人生が変わります。

教壇に立って気づいたのですが、教師がその授業にどれだけのモチベーションを持って臨んでいるか、どれだけの準備をしてきたか、というのは学生さんにすぐにわかってしまうのです。

90分間学生さんの前に立ちしゃべるということは、90分のあいだ「評価され続ける」ということです。だいたい5分くらい喋れば人間のキャラクターがわかりますから、90分となると、もはやその人の人生そのものがわかってしまうぐらいです(笑)。いやはや、教員というのは恐ろしい仕事です...。

でもそれだけの責任があるということは、当然やりがいもあります。

僕はいま文教大学で統計の入門講義を持たせてもらっています。僕の授業で「統計ってつまんないや」と思えば、その学生さんは一生統計に苦手意識を持ってしまうかもしれない。逆に興味を持ってくれれば、仕事をやっていくときに大きな武器になるかもしれない。1つの授業が、学生さんの人生に大きな影響を与えるかもしれないということです。

僕が政治学者を志したのは、いまの師匠である曽根泰教先生と上山信一先生の授業が抜群におもしろかったからです。それ以外の理由は何もありません。大学に入ったときは思想史か社会学をやろうと思ってたぐらいですから。

ひとつの授業が学生の人生を変えてしまう。おそらく北川さんはその自覚を持っているからこそ、並々ならぬモチベーションをもって授業に臨むことができるのだと思います。こんな仕事、ほかにそうそうありません。僕も最高にやり甲斐のある仕事だと思っています。

★★
この本はとても密度が濃い本です。

学部時代は数学・生命科学専攻にも関わらず、アルバイトがきっかけで大学院では日本史専攻という北川さんの不思議な研究遍歴がコミカルに紹介され、"Lady Samurai"、”KYOTO”という魅力的なタイトルをつけられたハーバードでの人気授業の内容、さまざまな授業の工夫・ノウハウが詰め込まれています。

北川さんは、本のまえがきで、自分の授業が評価された理由として、①自分の歴史へのアプローチが斬新なこと、②コンピュータをつかった体験重視の教え方が学生の心をつかんでいること、③ハーバードの授業評価システムが人気に拍車をかけていることをあげています。

僕が特に重要だと思うのは③です。

オープンで公正な授業評価システムは、良い授業をやっている先生が適正に評価されるためになくてはならないものです。教員の給料は基本的に良い授業をやっても悪い授業をやっても変わりません。つまり、良い授業をやるためのインセンティブはただただ先生の「使命感」に寄っているのです。その弱い授業改善インセンティブをフォローするためには授業評価が不可欠なのです。そして授業を選ぶときのとても重要な指標にもなります。

SFCでは、SFC-SFSという授業支援&評価システムがあります。その結果は、すべての学生と教員に公開され、かなり辛辣なコメントもそのまま掲載されます。授業評価期間中のSFCの先生たちはみんなソワソワしています(笑)。この評価システムはSFCの自慢の一つです。(また最近注目されている教育支援システムとしてマナバというものがあります)

ただそのSFC-SFSの授業評価も、学生の回答率は平均して30%くらいとかなり低く、データとしては不十分と言わざるを得ません。みんな授業評価を参考に履修を決める割には、回答をしていないのです。これに対してハーバードの授業評価の回答率は高いようで、北川さんの授業では136人中119人が回答していました。この評価回答のインセンティブもしっかりとつけることが重要です。

★★
僕がこの本を読んで勇気づけられたのは、教育にとって「経験」は決定的な要素ではないということを確信できたことです。1年目の新任講師がハーバードでNo.1になれるのですから! そして授業評価システムの重要性も再認識。日本の教育は、多くの学校でモチベーションの高い新任講師が活躍できるような環境が整えられ、質の高い授業評価システムが機能すればずっとずっと良くなるでしょう。

教育に携わるすべての人に強くお薦めできる本です。





2012年4月28日土曜日

「相対化」の言葉を求めてー山本七平『空気の研究』を読むー




この本を持って、国会で演説をぶちたいぐらいの気持ちである。



本書の歴史的意義は、「空気」が発生するメカニズムを、「対立概念で対象を把握することの排除」に見た点にある。すなわち、本来相対的に検討すべき複数の事象のうち、ひとつを絶対的な存在へとあがめ奉り、その他を全面的に排除するということである。

この指摘を見て、私が咄嗟に想起したのは、現在の原発をめぐる論議である。原子力には、「一瞬で多数の人々に致命的なダメージを与える恐怖の技術」という側面がある一方で、「低コストのクリーンエネルギー」という側面もある。どちらかを絶対視し、一方の見方を排除したときに、原発問題をめぐる「空気」が生まれる。いま日本は空気に支配されようとしているのではないか。

山本は本書のなかで以下のように述べる。

「どのように絶対化しているように見える言葉でも相対化されうるし、相対化されねばならない。」

「いわば、人間が口にする言葉には『絶対』といえる言葉は皆無なのであって、人が口にする命題はすべて、対立概念で把握できるし、把握しなければならないのである。」

「そうしないと、人は、言葉を支配できず、逆に、言葉に支配されて自由を失い、そのためその言葉が把握できなくなってしまうからである。」

これ以上の説明は不要だろう。いまの日本に最も必要なのは、相対化の言葉たちだ。いま日本人がこの本を読まないで、いつ読めというのだろう。

2011年10月17日月曜日

誤読メモ→宮崎学『法と掟と』角川文庫2009


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☆ご注意
・この「誤読メモ」は本の内容を僕の脳内フィルターに通してアウトプットしたものです
・本の文章の抜出ではありません
・僕がおもしろいと思った箇所を抽出しているため、本全体の要約にはなっていません

・僕が著者の意図を「誤読」している可能性もあります
・本の内容を確認したいときは、必ず原典にあってください
・★印はMarinによる注です
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p.14あたり
・アウトローというと、法なんか関係なく暴れまわっていると思う人がいるかもしれないが、アウトローであっても法の外で生活することはできない。アウトローは法に縛られずに行動する


p.15あたり
・アウトローは、法律を必死に勉強し、法の実質的で社会的な機能をつかもうとしている。そしてどう法の裏をかくかを考えている
・法の働きやしくみを利用してやろうとしてみていると、それらがどうやって法秩序を生み出していくのかが、見えるようになる


p.21あたり
・法というものは、本来絶対的ではないものを絶対的なものとして押し出すところに成り立っている。つまりフィクションで成り立っている
・アウトローは絶対的なものなど認めないから、そのフィクション性を前提に、法律を相対的にとらえる


p.24あたり
・アウトローにとっての法律的な問題とは、コストパフォーマンスで決まる。刑に服しても法律違反をして荒稼ぎしたほうがコストパフォーマンスが良いと思えば、犯罪行為をする。そうじゃなければしない


p.26あたり
・近代法は私的自治の原則の上に成り立っている。これは法律的関係を形成するのは個々人の意思によるという考え方である
・私的自治が前提になっているから、契約自由の原則が認められている
・もともと法というものは個々人の意思にもとづくもの。意思を超えたところで個々人を縛るものではない


p.28あたり
・法を考え、法を扱うには、法から出発してはダメ
・法以前、国家以前に私的自治があり、自由な契約がある。それがあるべき法の出発点


p.36あたり
・われわれは法ではなく掟から出発しなければならない
・実質的な共通点をもっている者たちが、その共通点をもとに集まった集団が内部に打ち立てる規範が掟
・仲間としての実質性や具体性がもっとずっと薄くなり、フィクションにもとづき「国民」や「国民国家」の規範となるのが法


p.39あたり
・個人や仲間が自治的に自由に活動できる場を保証するために法がある
・掟ではカバーできないところに法がでてきてカヴァーする


p.91あたり
・法律的に問題がなければ逮捕されることがない、というのは間違い
・アウトローは必ずしも反権力ではないが、権力は必ずアウトローである
・権力はアウトローが法を守ってようがいまいが、必要と機会があれば、必ずアウトローを潰しにかかる


p.92あたり
・鈴木宗男事件で逮捕された佐藤優は、国家公務員だがアウトロー並みのシビアな権力観を持っている
・自分が違法行為をしていないことを確信しているが、しかし、権力が自分を逮捕するのは必然なことであると認識している

Marin Review 宮崎学『法と掟と』角川文庫2009
必読度→★★★(星3つ)


この本は「アウトロー思考」というタイトルで、ビジネス書として売ればかなり売れたんじゃないかと思います。プロモーションはもとより、表紙が大失敗すぎるw 
 
しかし、内容は文句なしにすごくいい。間違いなく人生でトップ10に入ります。

なんでそんなに感動したかというと、法律なんてなんぼのもんじゃい、政府は基本的に出てくるな、みたいな、僕がそれまでに持っていた価値観を正当化するロジックを初めて与えてくれた本だからだと思います。

おもしろいのは基本的に最初の100頁のみなので、立ち読みでもいいかも。

2011年10月6日木曜日

誤読メモ→高橋秀美『からくり民主主義』新潮文庫2009















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☆ご注意
・この「誤読メモ」は本の内容を僕の脳内フィルターに通してアウトプットしたものです
・本の文章の抜出ではありません
・僕がおもしろいと思った箇所を抽出しているため、本全体の要約にはなっていません

・僕が著者の意図を「誤読」している可能性もあります
・本の内容を確認したいときは、必ず原典にあってください
・★印はMarinによる注です
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p.267あたり
「わかる」とは慣れる、ということ。最初はちんぷんかんぷんでも、手当たり次第に読み書きしていくと「わかっている」気になる。さらにそのテーマについて人に話すと、自信がついてますます「わかる」。ところが現地に出向くと即座に「わからなくなる」。

p.268あたり
現地でテーマについて話を聞いても、本当に人々が思っていることは聞き出せない。目的は「わかる」ことなので、現地の人の話に合わせないといけない。でもそうするとひとりひとりの話は「わかる」し納得する。でもたくさん話を聞いて納得と納得が重なり合うと全体がわからなくなる。

p.268あたり
たくさんの人の「実は・・・」という話を聞くと、賛成派vs反対派のような線引きができなくなってくる。境界がはっきりしなくなる。なぜこんなにわからないのか。

p.269あたり
そのわからない理由について悩んだ末、ひとつの仮説に行き着いた。それは民主主義というものが、ある「からくり」に基づいているから、というもの。「民主」というのは、「みんなが主役」という意味だが、それは「全員が主役」というのはただの理想であって、現実にはありえない。

★民主主義は実際には存在しない「みんな」を前提としているという意味で、所詮はフィクションなのだが、誰も本当のことはいえない。だけど、国民の多くはそのフィクションを素朴に信じているので、「国民の権利」が侵害されたと思うとやっきになって国家を攻撃するのだ。→このあたりに興味がある方は、佐々木毅『民主主義という不思議な仕組み』を読んでみてください。

p.269あたり
現実にはありないことを、いかにもあるようにみせるために「からくり」が必要になる。そのからくりとは、具体的な「一人ひとり」とは別に、抽象的な「みんな」をつくりだすということ。「世論」、「国民感情」などというものには実体はないが、それを誰かがつくっている。

p.269あたり
理想を語ると、それがかなえられていない「みんな」が生まれる。たとえば「平等であるべき」とされた途端、不平等な存在が生まれ、みんなが「平等」を追い求める。こうやって永遠に満足できない「みんな」が生まれる。

p.270あたり
本書は、「からくり民主主義」のもと、「みんな」の脇役になった(★「みんな」に入れなかった)日本人を描いたもの。現地で私がわからなくなったのは、民主主義が前提とする抽象的な「みんな」と、具体的な一人ひとりが語る「みんな」がズレているから。ズレとズレが重なり合って糸口が見えなくなるのは、民主主義の「からくり」によるところが大きい。

Marin Review 高橋秀美『からくり民主主義』新潮文庫2009
必読度 ★★☆(星2つ)

不思議な読後感の本です。

10編の独立したルポタージュをまとめたものなんですが、どのルポにも結論めいたことが書かれていない。それぞれのルポにおける著者のスタンス、言いたいこともなんだかぼんやりしていて、よくわからない。

だけど、本全体を見てみると、おぼろげにテーマが浮かび上がってくる(ような気がする)。それが民主主義の「からくり」です。

実はこの本、とても素敵なおまけがついています。なんとあの村上春樹が解説を書いているんです。

この解説がまた絶妙。著者である高橋の人柄はこう描写されています。

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p.273あたり
・高橋さんはちょっと変わった人で、いつも大きな体をいくぶん丸め気味にして「いや、ムラカミさん、困りました。弱りました。」といっている
・腕組みがとても似合う

この描写をみるだけで、春樹が高橋さんに好印象を抱いていることがわかるし(そうじゃなきゃ解説も書きませんよね)、読者である我々も高橋さんを身近に感じられるのではないでしょうか。
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春樹の解説を続けてみていきましょう。

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p.274あたり
・高橋さんが真面目に取材をして、たくさんの人の話を聞けばきくほど、結論がでなくなってくる
・しかし、ノンフィクションの書き手に求められているのは、「いや、弱りました、どうしたものか」という文章ではない
・でも僕には高橋さんの言いたいことが痛いほどよくわかった。
・僕がサリンガス事件を扱った『アンダーグランド』を書いたときにも思い知らされたが、世の中のものごとには多くの場合、結論なんてないのだ。
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僕は、この本を読んで、まさに春樹がいうように「世の中のものごとには結論なんてないかもしれないなぁ」と思ったのです。民主主義という制度の滑稽さにも改めて気づかされました。

収められているルポタージュは、「統一教会」、「オウム」にはじまり、「沖縄米軍基地問題」、「横山ノック知事セクハラ事件」、「富士山青木が原樹海探訪」など、日本の社会問題のごった煮のような様相です。

今回の誤読メモでは、あとがきのみを載せるという超変なまとめ方をしてしまっているので、個別のルポはぜひ本でご覧になってください。






誤読メモ→佐々木俊尚『キュレーションの時代』ちくま新書2011















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☆ご注意
・この「誤読メモ」は本の内容を僕の脳内フィルターに通してアウトプットしたものです
・本の文章の抜出ではありません
・僕が著者の意図を「誤読」している可能性もあります
・本の内容を確認したいときは、必ず原典にあってください
・★印はMarinによる注です
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p.21あたり
インターネットが普及してプロじゃない人の表現や発信が増えた。そういう世界では良い芸術作品、文章、楽曲を生み出すためには、「つくる人」がいるだけでは難しい。いい作品を「見いだす人」が必要。
★この「見いだす人」がこの本でいう「キュレーター」

p.43あたり
情報が共有される圏城(★この本では「ビオトープ」と呼ばれる)がインターネットの登場で細分化されている。適切なビオトープを見つけて情報を投げ込せば、コミュニケーションがはじまってフィードバックがくるけど、それを見つけるのはすごく難しくなっている

p.56あたり
「大衆」にドカーンと情報を投げ込み、それにつられてみんなが消費を行うというのは2000年以降成り立たない。いまは小さな圏城に情報の流れがある。

p.218あたり
コンテンツとコンテクストが揃ったときに、わたしたちはコンテンツをさらに深く愛せる。コンテクストはコンテンツのおまけではない。だからこそコンテクストをつくる人(★キュレーターと同義)が重要なのである。

p.248あたり
あらゆるものには「意味の境界」がある。ただ、「意味の境界」はつねに組み替えられ続けるべきだし、それは内側の論理によってではなく、外部のものによって作られるべき。この境界は外から情報をインプットするとどんどんゆらいでいく。このゆらぎが新鮮さを生み出す。
★意味の境界を変える→文脈を変える これもまたキュレーターの役割

Marin Review 佐々木俊尚『キュレーションの時代』ちくま新書2011
必読度→★☆☆(星1つ)

この本でいわれるキュレーターというのは、プロデューサー、ファシリテーターに近いものですね。

インターネットでたくさんの人がクリエイターになったいま、玉石混交のクリエイターの卵のなかから「ダイヤの原石」をみつけて、その原石が輝けるようにサポートしていく人が求められているのだ、というのがこの本の趣旨です。

ここでいうサポートとは、コンテンツにコンテクストを与え、それを発信するということです。ストーリーを与えるといってもいいかもしれません。

マーケティングの業界ではよくいわれることですが、あらゆる商品がコモディティ化してしまったいま、価格に見合った良い商品をつくっただけでは売れない。その商品にストーリーを与え、そのストーリーを潜在的な顧客に届けなくてはいけない。この役割を果たす人を、佐々木さんはキュレーターと呼び、そのような人たちがどんどん活躍していくことが必要だといっています。

僕がこの本を読もうと思ったのは、僕自身が「つくる人」よりも「見出す人」に向いているのではないかと思ったからです。

なので、いま、うちの曽根先生の授業をtsudaって世に送り出したり、こうやって本の紹介をして、なんらかの「ゆらぎ」を生み出したいと思っているのですね。(いつまで続けられるんやらw)

でもツイッターなどのおかげで、むかしよりも情報を受け取ってくれた方の反応が見えやすくなっているので、やりがいがあります。感想や反論など、なんでもよいので、レスポンスをもらえるととてもうれしいです。

これからもよろしくおねがいします。